ひきこもりから飛び出す学生ブログ

 初めまして。じゅんと申します。大学編入生のブログですが、最近は極々プライベートなブログになってます。気軽にコメントください。

モンゴルの少女、家出少年 色んな背景

 今年も残りわずか。学生は冬休みが始まっており、会社員も休みが始まる頃。2017年はもうすぐ終わろうとしています。

 思い返せば色んなことを体験できた年だったなあと思う。僕にとっては特に人との出会いが大きかった。

 モンゴルへのインターンシッププログラムを通して色んな人に会うことができた。プログラムを実施してくれた先生、一緒に同行した二人の学生、そして現地のモンゴルの学生。

 彼らと作り上げた思い出はどれも爽やかで、僕がそれまで学生生活の中で出会ったことのないものだった。それまでの僕はいわゆるリア充的な爽やかなものをどこかで拒絶していたけど、受け入れてみれば悪い気がしなかった。というか今まで意固地になって拒絶してたことが馬鹿らしく思えてくるほどだった。

 まずプログラムを実施してくれたT先生。T先生はインターン生活の中で僕ら学生とずっとメールのやりとりをしていた。そのおかげで困ったことがあれば解決策をいつも提示してくれた。ズバズバダメ出しを言うだけでなく、包容力が確かに備わっている印象を受けた。感受性がすごく、僕が書いたモンゴル日誌を読んで泣いたということだった。

 次に同行した二人の学生。僕が一番上の学年なのだけど、二人とも優秀でいつも僕を助けてくれた。僕も彼、彼女が困っているときに助言した。それが助けになっていればいいが。僕らは普段一人暮らしで会うことはなかったけど、土日の観光を共にするときには再会を喜んでいた。日本人が周りにいない環境だからこそお互いを大事にすることができたんだと思う。最終日仁川で食事する機会があったんだけど、二人が僕に注文してきた食事が激辛で辛(つら)かった^^;

 そして、かけがえのない思い出をくれたモンゴル人の学生。異国から来た僕を十分すぎるほどのおもてなしで迎えてくれた。彼女の名前はノミン。17歳。

 ノミンはまず2時間かけて話しながらザイサンの丘に連れて行ってくれた。7年間日本で育った彼女は日本語が上手く、アニメが好きだった。彼女はいつか日本に来たいと言っていたが、そんな日本に対する憧れがある一方で日本にはいじめがありふれているというような暗い部分についても知っていた。もしいじめられたりしたら大丈夫?と僕が言うと、「大丈夫ですよ。私は気にしませんから」と力強く笑顔で僕に言ってくれた。芯の座った子だなあと思った。他にも色んな話をしたけど、彼女は僕に恋愛についてよく訊いてきた。恋愛は思春期の彼女の頭の大部分を占めているらしかった、

 帰国前日、ノミンはプラネタリウムに連れて行ってくれた。ウランバートル最大の科学館にあり、そこではソ連と歩みを進めていた宇宙事業について学ぶことができた。スクリーンに映し出された星々は、僕が日本の科学館で見るよりも人工的で殺風景だった。それでも、上映中ヒソヒソと話すのは問題にしない科学館らしく、ノミンと隣同士で星座の名前を言い合ったりして楽しむことができた。

 その後彼女は手作りの冊子を僕にくれた。「A book to remind us」と書かれた本。その本には僕が研修先の学校で出会った生徒の写真が貼ってあり、その下には別れの言葉が書いてあった。胸が熱くなって泣きそうだった。

 彼女は僕の寮までついてきて、別れのハグをした。いつかまた会いましょうと。またいつか会えるといいな。

 このようにモンゴル国を通していろいろな思い出を作ることができた年でした。来年は、そして再来年はどんな年になるのでしょうか。。。

 

 僕には一つ大きな目標があります。それは、一年前別れた友人といつか再会すること。彼は前の大学の友人Dで、僕の人生に大きな影響を与えたように思います。

 大学一回生。大学に入学して初めての授業で僕は教科書を忘れてしまいました。その時教科書を見せてくれと頼んだ相手がDでした。授業が終わった後僕はDと話をしました。話を聞く中で、彼はどうやら読書家だということがわかった。英語の本を読んだことがあるかと僕が訊いたところ、彼は「海辺のカフカ」を読んだことがあるということだった。英語で海辺のカフカを読んだことのある人物に会うとは想像できなくて、何かしらの運命をその時感じていたと思う。

 僕はDと行動を共にするようになった。隣の席に座って授業を受け、夜の9時まで一緒に本を読み、時々彼の家に泊まるようになった。そこでいろんなことを話していた。何を話すにもDの世界観が独特で面白かった。

 ある日Dは言った。「俺、来年大学にはいないよ」と。「世界を旅してまわるんだ」「農業の手伝いをしてお金を稼ぐんだ。俺は慣れてるから」。僕はそれを聞いて驚いたが、「やりたいことがあるんだったらやったほうがいいよ」と言って応援した。

 翌年、僕らは大学2回生になって別々のクラスに行くことになった。前年Dは大学を辞めると言っていたのだけど、まだ大学にいることになった。ある日、共通の友人は「あいつはお前がいなければ辞めていたけど、お前がいたから大学に残ったそうだぞ」と言っていた。これからわかるように、僕らがお互いを特別に思い始めたのもDが元家出少年で僕が元不登校少年だったからだと思う。

 「俺は1か月間家出していた。なんかいろんなことが面倒でさ」。そうして彼は高校2年生の夏、1か月間家出していた。新潟県から長野県まで自転車で移動していたそうだ。夜の神社で佇む姿を地元のお婆さんに保護されて彼の束の間の旅は終わった。所属していたサッカー部のメンバーも彼のことを心配していたらしく、頻繁に彼に連絡していたらしいが彼は放っておいたそうだ。

 そんな彼だからこそ僕の不登校の話を聞いてどこかで心を落ち着けたのだと思う。事実、僕もそうだったから。

 大学2回生のとき、僕は大学編入を考えていた。僕はDにそれを告げると、彼も大学を辞めようとしていた。事実、彼は大学を辞めた。どういう訳かアメリカの大学で生物学を学ぶらしい。

 「お前は一番の親友だと思っている。それはこれからも変わらないと思う。お前が俺に見せたくないような変わり様を見せても、俺は気にしない」というのが僕の送信だった。

 「ありがとう。将来お互い仕事で出会えるようなことがあったらいいね。それがどんな形であっても」これが彼の最後の返信だった。

 その後Dはあらゆる連絡手段を削除した。LINEアカウントもメールアドレスも消した。僕が彼と連絡を取れるのは偶然に出会うしかなくなった。

 というわけで僕の目標はいつの日か彼と出会うことになった。10年後、20年後、30年後僕はアメリカで彼と出会うことがあると信じている。