ひきこもりから飛び出す学生ブログ

 初めまして。じゅんと申します。大学編入生のブログですが、最近は極々プライベートなブログになってます。気軽にコメントください。

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モンゴルの少女、家出少年 色んな背景

 今年も残りわずか。学生は冬休みが始まっており、会社員も休みが始まる頃。2017年はもうすぐ終わろうとしています。

 思い返せば色んなことを体験できた年だったなあと思う。僕にとっては特に人との出会いが大きかった。

 モンゴルへのインターンシッププログラムを通して色んな人に会うことができた。プログラムを実施してくれた先生、一緒に同行した二人の学生、そして現地のモンゴルの学生。

 彼らと作り上げた思い出はどれも爽やかで、僕がそれまで学生生活の中で出会ったことのないものだった。それまでの僕はいわゆるリア充的な爽やかなものをどこかで拒絶していたけど、受け入れてみれば悪い気がしなかった。というか今まで意固地になって拒絶してたことが馬鹿らしく思えてくるほどだった。

 まずプログラムを実施してくれたT先生。T先生はインターン生活の中で僕ら学生とずっとメールのやりとりをしていた。そのおかげで困ったことがあれば解決策をいつも提示してくれた。ズバズバダメ出しを言うだけでなく、包容力が確かに備わっている印象を受けた。感受性がすごく、僕が書いたモンゴル日誌を読んで泣いたということだった。

 次に同行した二人の学生。僕が一番上の学年なのだけど、二人とも優秀でいつも僕を助けてくれた。僕も彼、彼女が困っているときに助言した。それが助けになっていればいいが。僕らは普段一人暮らしで会うことはなかったけど、土日の観光を共にするときには再会を喜んでいた。日本人が周りにいない環境だからこそお互いを大事にすることができたんだと思う。最終日仁川で食事する機会があったんだけど、二人が僕に注文してきた食事が激辛で辛(つら)かった^^;

 そして、かけがえのない思い出をくれたモンゴル人の学生。異国から来た僕を十分すぎるほどのおもてなしで迎えてくれた。彼女の名前はノミン。17歳。

 ノミンはまず2時間かけて話しながらザイサンの丘に連れて行ってくれた。7年間日本で育った彼女は日本語が上手く、アニメが好きだった。彼女はいつか日本に来たいと言っていたが、そんな日本に対する憧れがある一方で日本にはいじめがありふれているというような暗い部分についても知っていた。もしいじめられたりしたら大丈夫?と僕が言うと、「大丈夫ですよ。私は気にしませんから」と力強く笑顔で僕に言ってくれた。芯の座った子だなあと思った。他にも色んな話をしたけど、彼女は僕に恋愛についてよく訊いてきた。恋愛は思春期の彼女の頭の大部分を占めているらしかった、

 帰国前日、ノミンはプラネタリウムに連れて行ってくれた。ウランバートル最大の科学館にあり、そこではソ連と歩みを進めていた宇宙事業について学ぶことができた。スクリーンに映し出された星々は、僕が日本の科学館で見るよりも人工的で殺風景だった。それでも、上映中ヒソヒソと話すのは問題にしない科学館らしく、ノミンと隣同士で星座の名前を言い合ったりして楽しむことができた。

 その後彼女は手作りの冊子を僕にくれた。「A book to remind us」と書かれた本。その本には僕が研修先の学校で出会った生徒の写真が貼ってあり、その下には別れの言葉が書いてあった。胸が熱くなって泣きそうだった。

 彼女は僕の寮までついてきて、別れのハグをした。いつかまた会いましょうと。またいつか会えるといいな。

 このようにモンゴル国を通していろいろな思い出を作ることができた年でした。来年は、そして再来年はどんな年になるのでしょうか。。。

 

 僕には一つ大きな目標があります。それは、一年前別れた友人といつか再会すること。彼は前の大学の友人Dで、僕の人生に大きな影響を与えたように思います。

 大学一回生。大学に入学して初めての授業で僕は教科書を忘れてしまいました。その時教科書を見せてくれと頼んだ相手がDでした。授業が終わった後僕はDと話をしました。話を聞く中で、彼はどうやら読書家だということがわかった。英語の本を読んだことがあるかと僕が訊いたところ、彼は「海辺のカフカ」を読んだことがあるということだった。英語で海辺のカフカを読んだことのある人物に会うとは想像できなくて、何かしらの運命をその時感じていたと思う。

 僕はDと行動を共にするようになった。隣の席に座って授業を受け、夜の9時まで一緒に本を読み、時々彼の家に泊まるようになった。そこでいろんなことを話していた。何を話すにもDの世界観が独特で面白かった。

 ある日Dは言った。「俺、来年大学にはいないよ」と。「世界を旅してまわるんだ」「農業の手伝いをしてお金を稼ぐんだ。俺は慣れてるから」。僕はそれを聞いて驚いたが、「やりたいことがあるんだったらやったほうがいいよ」と言って応援した。

 翌年、僕らは大学2回生になって別々のクラスに行くことになった。前年Dは大学を辞めると言っていたのだけど、まだ大学にいることになった。ある日、共通の友人は「あいつはお前がいなければ辞めていたけど、お前がいたから大学に残ったそうだぞ」と言っていた。これからわかるように、僕らがお互いを特別に思い始めたのもDが元家出少年で僕が元不登校少年だったからだと思う。

 「俺は1か月間家出していた。なんかいろんなことが面倒でさ」。そうして彼は高校2年生の夏、1か月間家出していた。新潟県から長野県まで自転車で移動していたそうだ。夜の神社で佇む姿を地元のお婆さんに保護されて彼の束の間の旅は終わった。所属していたサッカー部のメンバーも彼のことを心配していたらしく、頻繁に彼に連絡していたらしいが彼は放っておいたそうだ。

 そんな彼だからこそ僕の不登校の話を聞いてどこかで心を落ち着けたのだと思う。事実、僕もそうだったから。

 大学2回生のとき、僕は大学編入を考えていた。僕はDにそれを告げると、彼も大学を辞めようとしていた。事実、彼は大学を辞めた。どういう訳かアメリカの大学で生物学を学ぶらしい。

 「お前は一番の親友だと思っている。それはこれからも変わらないと思う。お前が俺に見せたくないような変わり様を見せても、俺は気にしない」というのが僕の送信だった。

 「ありがとう。将来お互い仕事で出会えるようなことがあったらいいね。それがどんな形であっても」これが彼の最後の返信だった。

 その後Dはあらゆる連絡手段を削除した。LINEアカウントもメールアドレスも消した。僕が彼と連絡を取れるのは偶然に出会うしかなくなった。

 というわけで僕の目標はいつの日か彼と出会うことになった。10年後、20年後、30年後僕はアメリカで彼と出会うことがあると信じている。

 

どん底から手を差し伸べてくれた人

 主人公田村カフカは、父にかけられた呪いから逃げるために家出する。彼は中学3年生で、内気で孤独。自分の周りに高い壁を作り、誰もその壁の中に入らせなかった。家出している途中15歳の中学生だと言われ補導されぬよう、筋トレをして体を大きくしていた。また、読書を積極的に行い知識を吸収していった。家事を日常的に行い、自立心を宿していた。家では父と住んでいるが、父と顔を合わすことはない。東京中野区に住む15歳の少年は香川県を目指して家出し、そこで多くの経験をする。この長旅で彼は様々な人と出会い成長する。

 

 高校一年生の9月から僕は不登校になった。無気力の状態だった。ほぼ毎日ネットに入り浸っていて、何にも積極的になれなかった。制服を着て電車に乗る。その電車が往復するのに任せて数時間乗車していた。このとき読んでいたのがドストエフスキー罪と罰だった。この大長編を2回繰り返して読んでいた。

 

 主人公ラスコーリニコフは、貧乏な法学部の大学生。金貸しのお婆さんに借金をしていた。ある日彼はこのお婆さんを殺害する。彼の理論はこうだった。ナポレオンは多くの人を殺して英雄となった。このお婆さんを殺せば、街の人にお金が行き渡りみんなは幸せになるはずだ。だから自分が一人殺そうと罪になることはない。事件を起こした後、彼は精神病にかかる。敬虔なキリスト教徒のソーニャと出会った彼は、愛を知る。

 

 不登校の時僕はそれ以前よりも辛かった。親は心配し、先生も心配した。僕はそれが辛かった。いっそのことほっといてくれたらよかったのだけど、そうもいかなかった。たくさんの時間ができた僕は、この時多くの小説に出会うことになる。罪と罰、15少年漂流記、アンネの日記風の歌を聴けカンガルー日和、世界の終わりとハードボイルドワンダーランド、ライ麦畑でつかまえて、などなど。

 

 模試を除けば僕は学校に行かなかった。模試がある日、僕は高一の担任の先生に対して別室で受けさせてほしいと言った。皆と顔を合わせるのが怖かった。不登校生が急に現れて何を言われるか分からない。全統高1模試だった。数学が120点で勉強してないにしてはまあまあ取れたのを覚えている。

 

 くよくよしている僕に声をかけてくれたのは、中3のときの担任だったI先生だ。ある日電話で話し合わないかと言われ呼び出された。

 

 僕「あの、先生。人っていろんな死に方があるんですね・・・」

 

 僕は確かこんなことを言った気がする。今思えば僕が先生だったら、生徒がこんなことを言って来たら自殺を疑うかもしれない。当時僕は罪と罰を読んでいて、拗れた考えを抱いていた。I先生は僕の言ったことに対して何か答えを返してくれたが、僕の方は聞く気力がなくて上の空だった。

 

 僕「先生、僕学校をやめたいです」

 I先生「お前を不幸にしてる学校なんかやめてしまえ。ただ、高校は卒業した方が良い。だからどこでも定時制に転入とかを考えた方が良い。そこ入るためにも単位が必要なんや。だから、ちょっとくらいは学校に来なさい。精神科に行って何かしらの診断書をもらってくれば、学校側も出席は大目に見たる。だけど、週に1、2日くらいは来るように。出席するだけでいい。他の先生にも、お前だけは授業中の質問はさせないでおくから」

 

 こういうやり取りがあった。僕は泣いた。自分のことを思って発言してくれて感謝しかなかった。帰宅後、僕は家族に対して、学校をやめて定時制高校に入りたいと言った。そこでなら、自分のペースで生活を送ることができると思ったからだ。

 

 その後僕は人生で初めて精神科に行った。何か診断書をもらいそれを学校に提出した。後は必要最低限の出席を満たすために、週に1、2日行くだけだった。

 

 

 

 

 

また元通りになった

 僕は小説が好きだけど、テレビで高学歴タレントが「年間で100冊読みます」みたいなのを目にすると、自分はそこまで好きではないなと思ったりする。事実最近は小説なんてほとんど読まないし・・・。読まない理由は、ただ単に小説読むよりスマホいじってまとめサイト読む方が多いし、あとは最近は映画をよく見たりするかな。だから小説を読むことはめっきり減った。て言ってもダラダラと過ごす時間は1日にたくさんあって、読もうと思えば小説は読める。だからと言って、小説が嫌いになったとかではないです。

 

 人間関係が薄かったときはそれこそ本が僕の癒しだった。現実逃避としてなのか、現実と向き合うためなのか、はたまた時間つぶしだったのか。私立に通っていた僕は高校受験をしなくて良かったから、勉強そっちのけで小説を読んでいた。好きな小説はと聞かれると、決まって海辺のカフカだけど、二番目に好き(いや一番に匹敵するんだけど)なのは車輪の下っていう小説。高1に出会って以来、これまで6回くらい読んだ。本の内容をまとめると↓のような感じ。

 

 主人公ハンスは村で一番の秀才だった。将来を嘱望され、優秀な者たちが集う神学校に入るが、そこでの出会いが彼の人生を狂わす。天才ハイルナーと友達になった彼は、自分がガリ勉野郎だと非難される。ハイルナーは勉強しなくともまずまずの成績を取ることができたが、ハンスは勉強をやめてしまうと途端に良い成績を取れなくなった。友情の大切さを知ったハンスではあるが、勉強を疎かにして教師から何度も叱咤を受ける。勉強と友情の板挟みになった少年は病んでしまい神学校を中退する。挫折感を抱いたまま村に戻り職人になるが、慣れない酒に酔って川に落ち溺死する。

 

 高校生になった僕は、自分を変えようとしてメガネからコンタクトにした。入学式の日(入学式といっても、中高一貫校だったのでただの始業式のように思えたが)、色んな方面から小突かれた。その度に愛想よく振る舞おうとした。笑うことに努めた。

 

 うちの学校のクラスは成績順にA,B,Cクラスと決められる。高1のクラス分けはどう決まるかと言えば、中3の総合成績だった。Aクラスの定員は27名と中3の12月くらいに発表されていた。僕の総合成績はというと、なんと28位で惜しくもその定員に入ることがないはずだった。しかし、担任の先生に呼び出され「お前は下のクラスにいけば絶対に腐る。だからAに行け」と言われて、Aクラスの定員が28名になることが決定した(一番成績が低いのが僕だということになる)。この先生は、僕が友達がいないことを知っていて、僕が校内をうろついているときいつも話しかけてくれた。修学旅行に遅れたときはかなり怒られたが・・・。僕のことを気にかけてくれるいい先生だった。この先生は僕が高1のときにも相談にのってくれた。

 

 高校入学となったわけだが、ほとんどのメンツは以前と同じ。またしてもKと同じクラスだった。「友達にはなれない」というメールを送ってきた相手と同じクラスなのは気まずかったが、仕方ないことだった。向うから話しかけてくる存在になろうと決めた。そのためには変わらなければならなかった。容姿も、話し方も、表情も変えて。

 

 ちょっとした変化だけで、人は寄ってくるようになった。僕はBUMP OF CHICKENが好きなのだけど、話の流れでそれを伝えたら一緒に下校してくれる人ができた。小さな変化は訪れたのだけど、Kと同じ教室にいるのは耐えられなくて昼休みは相変わらず一人で過ごした。渡り廊下でずっと空を見て過ごした。そこに僕の悩みの陰がまだ宿っている気がした。そんなことを思うと、急にくよくよしてまた元通りの根暗な僕に戻ってしまうことがよくあった。変わろうという決意はしたものの、上手くいかない部分があった。僕は一歩でも進んだことを自分で評価すればよかったんだけど、それができずに、「僕はまた元通りになったのかな」とよく落ち込んだ。

 

 僕はいつの間にか元に戻った。そして、不登校になり学校へ行かなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドキっとするとき

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(出典Amazon)

 

 こんばんは。8月28日にモンゴルに渡航しますので、日本にいるのは今日含めて残り9日になりました。トラブルがなければ9月の終わりごろ帰国する予定です。今回の渡航は、大学の海外インターンプログラムで、現地にて日本語教育の補助をしに行きます。はじめに、僕含めて3人の学生が参加するのですが、配属がひとりひとり違いますので頼れる人がいないのはやりがいがありますね。今回このプログラムに応募したのは、まず費用が安かったこと。これは大学のプログラムということで、実際に海外旅行に行った場合より安く抑えられていると思います(現地の大学の寮で暮らす予定です)。そして、モンゴルに行きたかったこと。前の大学で自由にテーマを決めてプレゼンをする課題があったのですが、その時にモンゴルを題材にプレゼンして、行きたいなあって前々から思っていました。あと、何年後か分からないけど将来海外で暮らしたいのでその準備段階としてどこでもいいので海外に行きたかったこと。前の大学で親友と呼べる人に出会い、その人が今アメリカの大学に行ってしまい会えなくなりました。またいつかそいつに会いたいなという思いが僕の中に今あって、それが今の僕の目標です。

 

 僕は現地で9月10日にモンゴルで開催されるマラソン大会に参加を呼びかけられました(モンゴルマラソン)。マラソンといっても、42.195kmを走ることはなく、走者は3km、5km、10km、ハーフの中から選んで走ることになります。僕含め現地に行く人はみな10kmを選びました!陸上経験も部活でスポーツすらしたことがなかった僕は割とキツイのですが、今練習しています。まあ何事も挑戦ですね・・・。

 

 その練習をしている最中に聞いているのがZARD。僕は最近ZARDの曲をよく聞くようになりました。オススメは、OH MY LOVE、君に逢いたくなったら、永遠

 

 

 ZARDが好きになった理由は、曲の歌詞も素敵ですが坂井泉水さんの歌声と容姿です。聞いててドキっとする歌声じゃないですか?これ以上言うとキモいのでやめときますが・・・。あと個人的にこれほど美人な人は見たことがないです。個人的にです。

↑の動画の2分10秒あたりの雰囲気がとても好きです。

 

 滅多にテレビ活動をしなかったZARD。その素顔はどういうものだったのだろう、と考えを巡らしてしまいます。

 

 そんなZARDのボーカル坂井泉水さんは30代でこの世を去ってしまいます。僕は音楽を聴くといつも、もう顔を見ることがないんだなあと悲しくなってしまいます。

 

 PVで見る彼女の表情はどこかいつもうつむき加減で、その姿がより一層彼女を美しくしているように思えます、キモいと思われそうですが笑まじでそう思います。

 

 

 

 

 

香川県はあこがれの場所だった

 僕は大学1回生から今まで色々なバイトをしてきました。熱しやすく冷めやすいのが原因かなと思います。単発のものからシフト制まで幅広くやりました。

 

 シフト制のものは数少ないのですが、コンビニバイト、塾講師(塾長と衝突がありすぐやめましたが)、家庭教師とやってきました。家庭教師はもうすぐ2年が経とうとしています。 

 

 単発のものは数多くやってきました。イベント設営、選挙事務、JR車内でのアンケート配布、開店間もないダイソーの準備の手伝い、ビルの清掃、京セラドームでの仕事、球場の芝の張替え作業、ドコモのdカードの登録の勧誘、ライン工での作業、ユニクロの倉庫での作業、交通量調査、治験・・・など。

 

 単発のものをやっていて良かったと思うのは、勉強したい時は仕事を入れなくていいところ。これは大学生にとって良いところなんじゃないかなと思う。あと、幅広い年代の人と関わることができるところ。僕はJR車内でのアンケート配布というアルバイトをやったことがあります。

 

 これは日給2万5000円で、僕が今までやった中で一番高い日給でした。二日間あったので、交通費と合わせて6万円を業務終了と同時に頂きました。会社から前日最寄りのホテルを予約してもらい、翌日の朝5時15分からスタートし、夜9時に終わるというハードスケジュールでした。JRの社内でアンケートを配布し、到着駅までできるだけ多く回収し、枚数を数えるという単純作業ではありました。しかし、当時は8月の猛暑で業務中はずっと立ちっぱなしでありましたので休まる時間がありませんでした。3人体制で業務をこなしておりました。昼ごはんを食べようという話になりまして、食堂へ立ち寄ったことを覚えています。

 

 一人は、その前年就活に失敗した就活浪人。一人は前年定年退職し派遣の仕事をしている人。そして一人は、元ひきこもりで高校を中退した人だった。この定年退職した人は自分の職歴を若い二人に飽かしてくれた。大卒で証券会社に勤めるが、仕事に面白味を感じなくなり3年間の勤務後はメーカーに転職。給料は低くなったが、そのメーカーでの仕事にやりがいを感じて40まで務めた後、日本年〇機構に就職し定年まで勤めたと言っていた。特に起業もしてないので年上と密接に関わることはないので、こういう話を聞けるのはなんだか良かった。

 

 まあ、単発とか短期のバイト以外にシフト制のバイトもやっていました。ずっと続けているのが家庭教師です。個人契約でやっています。今現在中学生の男の子を教えています。家庭教師をやっている中、中学と大学の違いとかを考えたりするのですが、夏休みの期間は大学生ってめっちゃ長いよな~と実感します。次の日程決めたりするのに、「俺今夏休みに入ってるけど、あいつもうすぐ夏休み終わってまうよな~」なんて考えたりすることがよくあります。

 

 大学生の夏休みは長い。僕はその夏休みを利用して1回生の時は18切符を使って北海道まで旅に行きました。途中新潟で野宿したり、少ないお金で工夫しておりました。結果大きな財産になって気がします。僕はその後、香川県にも行きました。実はこの香川、僕が中学生からずっと行きたかった場所なのです。なぜなら、香川と言えば僕が好きな小説『海辺のカフカ』の舞台になった場所だからです。

 

「君はこれから世界でいちばんタフな15歳の少年にならなくちゃいけないんだ。なにがあろうとさ。そうする以外に君がこの世界を生きのびていく道はないんだからね。そのためには、ほんとうにタフであるというのがどういうことなのか、君は自分で理解しなくちゃならない。」

 これは、カラスと呼ばれる少年という人物が主人公カフカに話しているシーンです。

 

 中学3年生の夏、僕は大切な友達と自ら絶縁した。後悔した僕は、現実から目をそらすために本屋に立ち寄って、「海辺のカフカ」に出会った。

 

 主人公田村カフカは15歳。幼い頃母親に捨てられる。内気な性格で、友達が誰もいない。自らの周りに高い壁を作り、その壁の中に誰も入れさせなかった。休み時間や放課後の時間は図書館にこもってひたすら本を読む。また、いつか家出するため、15歳だと間違われないように筋トレをして体を大きくしていた。

 

 僕はこの少年の影響をかなり受けることになる。ともに15歳で、友達もいない。クラブ活動に所属していなかった僕は個人的に筋トレをしていた。初めて分かり合えるような人に会えた感じがした。読書する中彼の影響を受け、実際僕は、登下校中の時間を読書の時間に充てたし、休み時間は図書館で読書することにした。就寝前も読書に時間を充てた。この変化は僕の学生生活の方向性を変えてくれた。読書することによってずっと抱えていたもやもやとした気持ちが和らいだ。

 

 タフになりたい。カフカと同じようにタフになりたい。作中で主人公田村カフカは幾度も困難を乗り越えて見せる。僕はその度に胸を打たれ、弱いままではだめだと思った。強くならないといけないと思った。世界で最もタフな15歳の少年になりたいと思った。

 

 そうこうするうちに、月日は流れた。強くなりたいとは思っても、僕はKと顔を合わせても謝ることはできないし、上手く行くことはなかった。直接が無理ならせめてメールで謝ろうと思った。なにかきっかけがあればいいのに・・・。

 

 1月1日、それは訪れた。そうだ!「あけましておめでとう!」というメールを送ろう。きっと返信してくれるはずだとポジティブに考えていた。

 

 「あけましておめでとう! また遊んでくれたら嬉しいな!」

 

みたいなのを送った気がする。もっといい言い方はあったと思うけど、重い内容でも気まずくなるし、返信しやすいものがいいと思った。

 

 返事は2日くらい来なかった。

 

 焦った僕は、「ごめんなさい。また友達になってください」と送った気がする。

 

 返事がようやく来た。

 

 「返事しようかと迷ったんだけど、悪いかなと思って。

私はあのとき〇〇を変えようとしてたよね?

申し訳ないんだけど、変われない人とは友達にはなれない」

 

 僕は衝動的に返信をした。

 

 「友達なんていなくてもいいです。自分の人生は自分で変えますから!」

 

 幼い僕は、なんか悔しくなって最後の最後でこんな挑戦的なメールを返信して終わった。その日は涙をたくさん流した。なんで認めてくれないんだろうと思った。当たり前だろう、あんなひどいことをしたんだから。と自問自答を繰り返していた。とにかく悲しかった。

 

 ずっと立ち直れなかった。だけど、タフになる決意をした。変わる決意をした。

 

後で続き書きます

 

 

 

 

 

 

人が変わるきっかけ

 Apple創業者のスティーブ・ジョブズはカリスマ的リーダーと言われる。彼がその手腕を発揮したのは、臨死体験によるものだった。と、前の大学の授業で習った。確か科目は「企業経営論」。学問としてはリーダーシップ論と呼ばれる経営学の一端を表面的になぞっていた授業だったが、僕はこの授業が好きだった。組織は小数のリーダーと多数のフォロワーで動くが、リーダーの重要性は内容を伝達する以外にも、彼の振る舞いや性格や言動にある。ここで言う言動とは、内容をどう伝えるかという、ただ中身を言うだけではない「言い方」にある。リーダーシップ論はこのようにリーダーの資質を割り出し、一般的なリーダーとは何かあるいはどの状況においてどんなリーダーが最適であるかを考える。しかし実際にはいかなる状況でも「アメ」が最適なんだよ!という論文を書いた人もいるし、「アメとムチ」を使い分けるのが最適なんだよ!という論文を書いた人もいるし、学者の中でも意見は分かれているみたい。だけど、ジョブズがカリスマ的リーダーであることを疑う人はいないみたい。僕も今日その一人になった。

 

 僕は去年まで外大にいたんだけど、先生から見た方がいいと何度も言われ、英語上達するには必ず見た方がいいと言われたある一つの動画がある。Youtubeで気軽にアクセスできるんだけど、今日まで見ることはなかった。

 

 スティーブ・ジョブズは、後世にまで語り継がれるようなプレゼンをスタンフォード大学で行った。長さ15分に及ぶプレゼンの動画は、世界で最も有名なプレゼン動画として知られ、多くの人々に勇気を与え続けた。彼が挙げた3つの話題に耳を傾けると、これがカリスマオブカリスマであると結論付けることができる。内容は伏せておく。

 

 今回の記事で一番取り上げたいことがある。彼がそのリーダーシップを生んだきっかけがあるということ。もちろん彼には人生のターニングポイントがいくつもあって、実際に生まれる前から彼が自分の人生の寂しさを強く意識させたことがあったんだけど、Apple創業者としてのリーダーシップはどこで生まれたのか。後にカリスマ的リーダーと呼ばれるようになったリーダーシップを取れるようになったのはなぜなのか。それは「臨死体験」だった。

 

 ジョブズは2003年にすい臓がんを患う。悪性腫瘍が見つかり、病棟でまさに死に直面する経験をした。そこで彼は人生が短いことを悟り、その後iPhoneをはじめ独創的なディバイスを発表していった。

 

 人は人生の中で強烈な体験をすると変わると思う。僕はそれを信じている。

 

 中学3年生の8月、僕は初めてできた友達と絶縁した。そうすればもやもやした気持ちが晴れると思ったけど、一瞬にして後悔に変わった。わざわざ根暗な自分に話しかけて遊びにも連れて行ってくれた彼女に対してどれだけ無礼なことをしたんだろうかと。自分の不甲斐なさに思い悩みながら、僕は学生生活を過ごしていた。ネットにひっつく時間はより長くなり、深夜に寝て最悪の朝を迎えていた。通学の電車で始終うつむきながら暗い音楽を聴いていた。学校ではより人を避けるようになった。その以前僕は休み時間教室で本を読んでいたのだけど、教室を出て誰も来ないような場所に行くようになっていた。Kと顔を合わせるごとに複雑な気持ちになった。謝りたい。また友達になってと言えばいいのに言えなかった。その度に悲しくなった。

 

 史上最悪な学生生活が始まった。寝不足な日々が続き、通学電車の中では最悪の音楽を聴いた。登下校中僕は人の目を避けるようにして俯いたまま歩いていた。精神的に苦痛な日々が続いた。もしかしたらKもそうだったかもしれない。もっとも彼女は友達と楽しく笑っていたように思えたけど、内心はどうだったかは知れない。ようやく仲良くなったと思えた相手が一方的に仲を引き裂いてきたわけだから。こんな日々が続いていたのだけど、僕はその後の人生の支えとなる本に出会うことになる。僕はある休日に書店に行き、何でもいいから本を探していた。活字を追って現実から目を背けたかった。もしかしたら人生のヒントをくれるかもしれない。わらにもすがる思いで、何か良い本を探していたのだ。

 

 「世界で一番タフな15歳の少年になる必要がある」ブックカバーにそう書かれていた本にフと目をやった。そのキャッチコピーは大学生の今でもなお僕の心の奥に宿り続けることになる。ページをめくり、ちょっとだけ内容を確認してみた。どうやら主人公は中学生らしい。すると、ブックカバーに書かれてあった「15歳の少年」という情報から、この中学生は3年生だと推測することができた。僕と同じ中3だ。

 

 この本のタイトルは海辺のカフカ。有名な作家村上春樹の本だ。僕はその時村上春樹が有名だということをあまり知らなかった。なのでその本とめぐり合ったことは、今でも僕が純粋にその本に引き寄せられたことのように思える。僕はそれから海辺のカフカを何度も読むことになる。原版を13回。英訳を6回。中国語版を1回。そして、Audibleという朗読サービスで何度も英訳バージョンを聴いた。この海辺のカフカは僕が大学入学するまでの生活、そして大学1回生の学生生活に大きな影響を与えることになった。

 

後で続き書きます。